「二つの約束」エレミヤ書31章31節33節

 今朝の題は「二つの約束」 です。 神は人々と約束をしました。 二度です。 正確には神の民、 イスラエルの人々とです。 でも、それはわたしたちのことでもあるのです。 エレミヤ書 31 章31節に 「契約」 のことが語られています。 新しい契約と古い契約です。 この 「契約」 は 約束のことです。 神の約束、 それは民を祝福してくださると言うものです。
最初の約束は、 主なる神がイスラエルの民を、 「エジプトの地から導き出した日」 (エレミ ヤ31:32) です。 シナイ山の麓でした。 ヨセフのことを知らない王がエジプトに起こっ たとき、 イスラエルの民は重い労役をもって苦しめられました。 その苦役のゆえにうめき、 叫ばずにはおれませんでした。 その叫びは神に届き、 神はモーセを用いて、 イスラエルの民 エジプトから救い出したのです。 (出エジプト記1章~12章) エジプトの支配から救い 出された民に、 神は民の神として祝福する約束をします。 エジプトから解放された民は、 神 の民として十の戒め (出エジプト記201-17)、 十戒の枠の中で生活する決意をする のです。 ところが守ろうとしても守りきれなかったのです。 十戒の枠から外へ出てしまうの です。 祝福を与えるはずの十の戒めは、 民を断罪するものになってしまいました。
罪を犯した女性をこうとした時のことです。 「モーセは律法の中で、こういう女を石で 打ち殺せと命じました」 と語る人々に、イエスは「罪のない者が、 まずこの女に石を投げつ けるがよい」と答えました。 「これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりひとり出て行き」 誰も裁けなかったと、 ヨハネによる福音書に記されています。 (8:19) 人は皆罪人なのです。 罪人にとって律法は罪を指摘し責めることはあっても守らせることはできません。
そこで、 主なる神は「新しい契約を立てる」 (エレミヤ31:31) のです。 新しい約束 をするのです。 その約束は前のとは違って 「律法を彼らのうちに置き、 その心にしるす」 と いうものです。 そのことによって「わたしは彼らの神となり、 彼らはわたしの民となると主 は言われる」 (エレミヤ31:33) のです。 この約束はイエスによって成し遂げられまし た。 ヘブル人への手紙の8章にはエレミヤ書のことばを引用して、 このことはイエスの十字架によって成就したことが記されています
人は神の十戒 (律法) を持っていてもそれを破って罪を犯してきました。イエスはその罪を負い、 滅ぼされるべき人たちの代わりに十字架の上で血を流し、死んでくださったのです。 死んだだけでなく、 命を注ぎ、 注がれたイエスの命は 「わたしたちの良心をきよめて死 んだわざを取り除き、 生ける神に仕える者」 (ヘブル9:14) に造り変えてしまうのです。 十の戒はその人を責めるものではなく、そのように歩んでいることを確認させるものとなる のです。 
 人はイエス・キリストによって神を喜ぶ者となり (ローマ5:11)、 神を喜ぶ者だからこそ喜んで生ける神に仕えるのです。 この恵みに与ったわたしたちは喜んで神を礼拝し、喜んで神に仕えていきましょう。