知らなかったことを知る、 分かるようになるのは恵みです。 知っていれば見分けることが できます。惑わされることがありません。 エゼキエル書の中に 「知る」 ということばが繰り返しでてきます。人々が神を知るように なると言うのです。 (エゼキエル20:38,42,44,22:16, 22, 23:49, 24:27,255, 7, 11, 17等) バビロン軍に滅ぼされて敵国で奴隷生活を送っ ている神の民を、 主なる神が回復させることによってです。神はその回復を、エゼキエルに 幻を見せて教えたのです。 (エゼキエル371-10)
「主の手がわたしに臨み、主はわたしを主の霊に満たして出て行かせ、 谷の中にわたしを 置かれた。 そこには骨が満ちていた」 (エゼキエル37:1)。 導かれるまま谷へ行ったエゼ キエルが見たものは、 「いたく枯れた骨」 の山でした。 この幻はイスラエルの現実の姿でし た (エゼキエル37:11) 心が神から離れ、神のことばに耳を傾けることをせず、罪を 犯し続けて生活している民は 「枯れた骨」 なのです。 命がありません。 何も生まれません。絶望です。ところが、 神はエゼキエルにお命じになるのです。 「これらの骨に預言して、言え。 枯れ た骨よ、 主の言葉を聞け・・・わたしはあなたがたのうちに息を入れて、 あなたがたを生か す... そこであなたがたはわたしが主であることを悟る」 (エゼキエル3674-6)。エゼキエルが神に命じられたようにすると、 骨は肉を得て人となり、命を吹き込まれて生き た人となってその足で立ち はなはだ大いなる群衆となった」 のです。 (エゼキエル37: 7-10) 「群衆」 (37:10) はただむらがり集まった大勢の人ではないようです。 軍隊 のことだと言われています。 戦う軍隊、 敵兵を蹴散らし壊滅させる軍隊です。 「枯れた骨」 のような民を、 神は新しい神の民として新創造されるのです。 民を愛してお られるからです。 それがわたしたちの主なる神、 聖書の神です。 神の民は、やがてバビロンから帰って自分たちの国を再建します。 しかし、 幻の真の実現 はイエス・キリストによって成就します。 イエスの 「弟子たちはユダヤ人をおそれて、 自分 たちのおる所の戸をみなしめ」(ヨハネ20:19) て部屋に閉じ籠っていた時のことです。 そこへ十字架で殺された 「イエスがはいってきて、 彼らの中に立」 (ヨハネ20:19) た れたのです。 そして、 彼らに息を吹きかけて「聖霊を受けよ」と仰せになりました。 五旬節 の日、弟子たちは聖霊に満たされ、 聖霊が語らせるままに語り出してイエスのことを宣べ伝 えます。 その日3000人が救われました。 人を恐れて縮こまっていた弟子たちは立ち上が り、声をあげて証言します。 (使徒行伝2章) そして、 神の軍隊となって出て行って福音を 伝え、救いの恵みを手渡してサタンに捕えられている人々を解放しました。 人々は変わりま した。 神が分かるようになりました。 神を賛美し、 神と共に生活するようになりました。 そ して役に立つ神の働き人になっていきます。 これら全てのことは神から出ているのです。 神の手によって為されてきました。 神はわた したちを新しく創造し、十分に役立つ神の働き人にしてくださったのです。 聖霊に満たされ て歩みましょう。