「いのちの水」エゼキエル書36章22~30節

   水がなければわたしたちは生きることができません。水は命です。そして、水は物を破壊する力をもっています。それが水です。

 主なる神はご自分の民にしようとしていることをエゼキエルに示されました。それは水によって民を生まれ変わらせ、新しく造り変えると言うのです。

 

 神の民は、神から心が離れ、自分が神になっていました。その結果、神の民は国を失い、敵国であるバビロンで捕囚生活を強いられることになってしまいました。その民をバビロンから救い出して国を再建させるようにするだけでなく、神を喜び、神を礼拝し、神と共に歩む民に造り変えられると言うのです。「わたしがあなたがたを諸国民の中から導き出し、万国から集めて、あなたがたの国に行かせる。わたしは清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から清める」(エゼキエル36:24,25)。そして、さらにこう続きます。「わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から石の心を除いて、肉の心を与える」(エゼキエル36:26)。主なる神は清い水によって民を汚れと偶像から清めてくださるのです。そして新しい心を与えてくださるのです。新しい心は石の心が除かれ、肉の心が与えられた心です。石は冷たく命がありません。肉は命があり温もりがあります。このように主なる神は人を造り変えてくださるのです。新しい命によって新しく生きることができる人になれるのです。

 

 この事を実現するために、主なる神はイエス・キリストをこの世に遣わされたのです。ヨハネはイエスのことばを記しています。「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネによる福音書3:3)。「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない」(ヨハネによる福音書3:5)。水とは霊のことです。神の御霊、聖霊のことです。人は神の御霊、聖霊の働きによって新しく造り変えられ、生まれ変わることができるのです。「永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者にしないであろうか」(ヘブル9:14)。するのです。そして、十字架で死なれたイエスとひとつになった、新しい命によって生きる者になったことを表現しているのが洗礼です。

 

 わたしたちはこれらのことの証人です。わたしたちは神から新しい心を与えられました。わたしたちの生活はイエス・キリストを信じ、洗礼を受けた時から変わりました。このことを通して、わたしたちを通して、主なる神はご自身が聖であることをお示しになっておられるのです。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」(イザヤ6:3)。人々は新しく造られたわたしたちによって神を知るのです。ハレルヤ!