「信頼」ダニエル書3章13節~15節

信じて頼る、信頼する、どのような時も主なる神を信頼することは、その人の救いになります。

 

 イエスの弟子であるペテロは、「ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行く」と言われたことがありました。(ヨハネによる福音書21:18-19)彼は殉教したと伝えられています。わたしたちの生活は自分の思い通りにはいきません。いやなことが多々起こってきます.苦難に出合います。危険な状態の中に置かれることだってあります。ダニエル書に登場するシャデラク、メシャク、アベデネゴの三人も窮地に立たされた人達です。

 

 シャデラク、メシャク、アベデネゴの若者三人は、ユダヤからバビロンへ捕え移された人達です。三人はユダの部族でハナニヤ、ミシャエル、アザリヤという名の人達です。シャデラク、メシャク、アベデネゴはバビロンで命名された名です。(ダニエル1:6-7)この三人はバビロンの王に仕えていました。(ダニエル2:49)しかし、この三人にとって大変なことが起りました。王が金の像を造ったのです。そして、「王の立てた金の像を拝まなければならない。だれでもひれ伏して拝まない者は、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる」と言う命令が出されたのです。(ダニエル3:5-6)

 

 王の命令であっても、三人は従いませんでした。はっきりと王に向かってこう告げるのです、「王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」(ダニエル3:18)。三人は王を恐れませんでした。なぜなら彼らは彼らの神、主なる神を信頼していたからです。「もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます」(ダニエル3:17)。この信頼はどこから出てきているのでしょう。三人は声を揃えて「わたしたちの仕えている神」、その神が救い出すのですと返答しています。彼らは神に仕えてきました。今も仕えています。仕えているから神がどのようなお方かを知っていたのでしょう。わたしたちの神は主なる神、全能者にして創造者なる神、このお方のほかになにものも神としない(出エジプト20:1-6参照)生き方をしてきたのです。だから、「王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出すことができます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」(ダニエル3:17-18)と明言できたのでしょう。彼らの信仰の決断です。

 

 この三人に主なる神が応えるようにして驚くべきことをなさいました。「わたしが見るのに四人の者がなわめなしに、火の中を歩いているが、なんの害をも受けていない。その第四の者の様子は神の子のようだ」(ダニエル3:25)。

 

 火の中を共に歩んでくださるお方は、「世の終わりまで」(マタイ28:20)いつもわたしたちと共にいてくださるのです。

このお方を信頼して歩んで行きましょう。