わたしたちの主なる神は、わたしたちのために常に備えをしていてくださるお方です。「神の備え」で思い出すのは、創世記のアブラハムです。「アドナイ・エレ(主の山に備えあり)」(創世記23:14)。
アブラハムが99歳の時、全能の神の前に「ひれ伏し」(創世記17:3)て、男の子が与えられます。男の子はイサクと名づけられます(21:1-3)。後に、神はイサクをはん祭としてささげるように、アブラハムに求めるのです。アブラハムは神に従い、イサクを殺そうとした時それを神の使いに止められ、代りに神が備えてくださった雄羊をはん祭としてささげたのです。
ヨナ書にも主なる神の備えが記されています。「大いなる魚」(1:17)です。ヨナが海に投げ込まれた時です。巨大な魚(聖書協会共同訳)がヨナを呑み込んで陸に吐き出すのです。ヨナは助かりました。次は「とうごま」(4:6)です。暑さに苦しむヨナを救うために備えてたものです。ヨナは大喜びです。さらにヨナのために「虫」が備えられ「暑い東風」も備えます。ヨナの行く先々に彼のために備えをしていてくださったのです。それが主なる神です。わたしたちの神です。
ヨナは預言者でした。でも主なる神に従わなかった人です。神にニネベに行くように言われたのに、主の前を離れてタルシシへのがれようと船に乗ってしまうのです(1:1-3)しかし、神が備えてくださったものを通して、ヨナは主なる神の御心を深く知らされました。「あなたは・・・どうごまさえ、惜しんでいる。ましてわたしは12万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」(4:10,11)。主なる神はユダヤ人だけでなく他国の人々、全世界の人々を愛しておられるのです。すべての人が罪を悔い改めて赦され、神と共に歩むようになることを願っておいでになるのです。主なる神はヨナによってそのことを明らかにされたのです。そしてヨナはイエス・キリストを表す「しるし」となりました。
ヨナは主なる神からニネベの町へ宣教者として遣わされました。ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い改めました。イエスはこの世界に神から遣わされた宣教者です。「ニネベの人々に対してヨナがしるしとなったように、人の子もこの時代に対してしるしとなるであろう・・・ニネベの人々がヨナの宣教によって悔い改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる」(ルカ福音書11:30-32)。そして、ヨナが大魚の腹の中に三日三晩いたことがイエスのしるしでした。「預言者ヨナのしるしのほかには、なんのしるしも与えられないであろう。すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう」(マタイ福音書12:39,40)。イエスは主なる神の救いの恵みを伝え、わたしたちの罪を背負って十字架の上で死んで復活されました。そのことのゆえにわたしたちは赦され、死から救い出されて永遠に神と共に生きる者とされました。
主なる神は恵み深い神であり、あわれみの神、怒ることおそく、その神のいつくしみは豊かであることを、わたしたちは知りました。そのお方はいついかなる時もわたしたちのために備えをしていてくださるのです。このお方を信頼して育てていただきましょう。