「わたしたちの生き方」 ハバクク書2章1節~5節

 人の生き方はさまざまです。しかし、主なる神はどのような生き方を、わたしたちにお求めになっているのでしょう。ハバクク書にこう記されています。「見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人は信仰によって生きる」(2:4)。「信仰によって生きる」、これがわたしたちにお求めになっている生き方です。

 神はわたしたちの目に見えるお方ではありません。見えないのです。見えないけど生きて働いておられます。その神とわたしたちを結びつけるのが信仰です。

 ハバククは悩んでいました。苦しんでいました。どうしてユダの国で行われている罪悪を、神は放任しておられるのか。神は罰しなさる。ユダの国を罰しなさるために、どうしてユダの国よりももっと悪い罪深い者たちを用いられるのか。神はその者たちをも罰しなさる。(ハバクク1章2章)そのような中で国がなくなってしまうことになっても、神を信じる義人たちは信仰によって生きるのです。攻めてきた敵に捕えられ、捕虜として生活するようになっても、その所で信仰によって生きるのです。涙をもって種をまきました。(詩篇126:4)涙を流して祈ったのです。やがてその人々は祖国ユダに帰って来て、国を再建したのです。

 ハバクク書の「義人は信仰によって生きる」(2:4)を、新約聖書のパウロが引用して福音を証しています。「信仰による義人は生きる」(ローマ1:16-17)。わたしたちの罪のために十字架の上で神に罰せられたイエスを信じることによって、罪人であるわたしたちは義とされるのです。救われるのです。当時の多くの人は善行によって義を手に入れようとしました。しかしパウロは「信仰によって義とされる」と語って、信仰の大切さを証しました。義人は信仰によって生きるのです。(ガラテヤ3:10-14参照)

 ヘブル人への手紙にも引用されています(10:38)この迫害を受けていた教会は、思うように集会ができませんでした。ヘブル人への手紙の著者は、励ます意味でこの手紙を書きました。「愛と善行とを励むように努め、ある人たちがいつもしているように、集会をやめることをしないで互いに励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか」(10:24,25)礼拝をやめたい思いになったのでしょう。だから「やめることをしないで」と励ましているのです。主イエスは必ずおいでになるので確信をすてないで耐え忍ぶように語りかけます。そして「義人は、信仰によって生きる」とハバクク書のことばを引用して信仰によって生きることを奨励しています。(10:32-39)

 この世では苦難があります。涙を流すこともあるでしょう。わたしたちは神の御旨を行って約束のものを受けるために「信仰によって生きる」歩みをしていきましょう。