「ふるいたたせる言葉」ハガイ書1章1節-6節

 弱いわたしたちです。失敗することもあります。奮い立たせる言葉を掛けていただけることは有り難いことです。今朝は誰かが誰かに励ます言葉を掛けるのではなく、主なる神がわたしたちを励ましてくださる話です。

 ハガイ書はバビロンに捕らえ移されたユダの国の人たちが、帰国して神殿を再建する時のことが記されています。神殿再建に取り掛かるのですが、サマリヤ人に妨害されて工事は中断してしまいます。(エズラ記4章参照)民は「主の家を再び建てる時は、まだこないと言って」(ハガイ1:2)、時期尚早を口実に14年間も放置しました。そうしたときに主なる神は預言者ハガイに語られたのです。「主の言葉が預言者ハガイに臨んだ」。何度もでてきます。(1:1,3,2:1)神は「語る神」なのです。「語り掛ける神」なのです。そのことによって、わたしたちは目を覚ます」ことができるのです。

 「主の家はこのように荒れはてているのに、あなたがたは、みずから板で張った家に住んで居るときであろうか」(ハガイ1:4)。「わたしの家が荒れはてているのに、あなたがたは、おのおの自分の家の事だけに、忙しくしている」(ハガイ1:9)。神は神殿の工事に取り掛かるように勧めるのです。そして民に約束なさるのです。「わたしはあなたがたと共にいる」(ハガイ1:13,2:4)。今までも共にいたが、今も、そしてこれからも共にいると約束してくださったのです。何か不足するものがあったとしても、意地悪する者がいたとしても、主なる神がいてくださるなら再建できると、「その神、万軍の主の家の作業にとりかかった」(ハガイ1:14)のです。民の心は「振り動かされた」のです。民は勇気を出して働きはじめました。(ハガイ2:4)共にいてくださる神、語り掛けてくださる神は、勇気を出して働けるようにしてくださるのです。

 完成した神殿の栄光は、前の神殿の栄光よりも大きいと、主なる神はおっしゃいました。「主の家の後の栄光は、前の栄光よりも大きいと、万軍の主は言われる。わたしはこのところに繁栄を与えると、万軍の主は言われる」(ハガイ2:9)。「繁栄」は最高の状態を表す言葉だそうです。ところが実際はソロモンが建てた「前の神殿」より「後の神殿」はかなり小さいもので、前の神殿を知っていた長老たちは泣いたと言われています。でも、神が人となってこの神殿に来られました。イエスです。12歳になられたイエスです。(ルカ福音書2:40-49)ヨハネは福音書の中にこう記しています。「言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」(1:14)。このイエスの十字架の死によって「神殿の幕が上から下まで真二つに裂け」(マタイ福音書27:51)て、誰でも神と自由に交わることができる道が開かれました。

 「繁栄」はこのことを指し示していたのでしょう。神殿であるイエス(ヨハネ福音書2:13-22参照)を通して人は神と出合います。このイエスは約束してくださいました。「わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ福音書27:20)。そして、わたしたちと共にいてくださるお方は、わたしたちと共に働いてくださるのです。「主も彼らと共に働き」(マルコ福音書16:20)。

 さあ、わたしたちも勇気を出して、働こう。