「語られたことば」ゼカリヤ書4章1節~10節

 「万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである」(ゼカリヤ4:6)。多くの人に知られている聖書の御言葉の一つです。この聖句は主なる神がゼカリヤを通して、神の民、ユダの国の人々を励ました言葉です。「ゼルバベル」は当時の指導者です。聖書の神は語る神です。神は「言葉」でご自身の考え、思い、心を伝えます。

 預言者ゼカリヤはハガイと同じ頃に活動した人です。バビロンの捕囚から帰って来た人々が、荒れ果てた祖国を復興しようとしたけれども遅々として進みませんでした。神殿の石垣を築いたものの周囲の妨害もあって工事は中断し、その後放置してしまいます。その時に、神はゼカリヤを用いて民を励まして神殿完成へと導かれるのです。神殿の再建をあきらめかけている民を励ました言葉が4章6節~7節です。主なる神は語られました、「かしら石を引き出す」(7)と。かしら石は工事の最後に載せる石で完成を表すのだそうです。神殿の完成は「権勢によらず、能力によらず」(4:6)と語られています。人間が持っているものによって完成するのではなく、神の「霊」によって、すなわち御霊の力によって働く神の人の手で完成するのです。御霊によって力づけられて働く神の人は、困難や障害の大山を「平地」(4:7)にしてしまうのです。神殿を完成させる、その完成は「わたしの霊によるのである」と、主なる神はおっしゃっています。今の時代もそうです。地上にあるキリストの体である教会を建て上げるために、主なる神は御霊を注がれました。(使徒行伝2章参照)御霊に満たされた人たちの働きによってキリストの体である教会は建て上げられています。「こうして教会は・・・聖霊に励まされて歩み、次第に使徒の数を増して行った」(使徒行伝9:31)。

 ゼカリヤは「その日」のことを語っています。(9:16,11:11,12:3,4,6,8,11等々)「その日」は終末のことで、神の救いが成就されるための一つの期間を表す言葉だそうです。「末の世」のことです。その日には救い主が出現します。「見よ、あなたの王はあなたの所に来る・・・ろばの子である子馬に乗る」(9:9、マタイ福音書21:4-5、ヨハネ福音書12:14-15)。次に救い主の受難が語られています。「牧者を撃て、その羊は散る」(13:7マルコ福音書14:27)。救い主の死とその死による神の救いの恵みも予告されています。「罪と汚れとを清める一つの泉」(13:1)「背中の傷」(13:6ヨハネ福音書19:34)。そして、ペンテコステのことも書かれています。「恵みと祈りの霊とを注ぐ」(12:10、使徒行伝2:1-4)最後に、栄光の王として救い主はおいでになられます。「主は来られる、もろもろの聖者と共に来られる」(14:4-5,使徒行伝1:11,黙示録1:7参照)

 ゼカリヤによって語られたことばは、イエスによって成就しました。イエスは十字架で死に、甦って昇天し、やがて再びおいでになります。その日はわたしたちに与えられている救いの恵みが完成します。わたしたちはますます「主をおそれ聖霊に励まされて歩み」ましょう。