「求めなさい」ルカによる福音書11章1節~4節

 わたしたちの教会では、礼拝の終りに「主の祈り」を歌っています。これはわたしたちの祈りです。歌うことによってわたしたちは求めているのです。御名があがめられることを、御国がくることを、日々の糧を・・・。この祈りはイエスが弟子たちに教えたものです。(ルカ福音書11:1-4)イエスは祈ることを弟子たちに話しながら父なる神に求めるように勧めます。求めるなら、父なる神は必ず答えてくださるからです。「求めよ、そうすれば、与えられる」(ルカ福音書11:9)。求める者への神の答えは、「聖霊をくださる」ことだとイエスはおっしゃいました。(ルカ福音書11:13)与えられた御霊は、求める者を導き、神の業をなし、神の働き、神の恵みを深く知ることができるようにしてくださいます。わたしたちは聖霊によって神と向かい合い、神との人格的な命の交わりをし、神に祈り求めていくことができるようになるのです。

 この福音書を書いたルカは、聖霊はイエスと深く係わっていたことを証言しています。イエスは聖霊によって人として生まれました。御使がマリヤのところにきて語られたことばをルカは記しています。「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえ生まれ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう」(1:26-35)。イエスが宣教活動を始められたのは三十歳の時でした。それはイエスが洗礼を受けられた後です。「民衆がみなバプテスマを受けた時、イエスもバプテスマを受けて祈っておられると、天が開けて、聖霊がはとのような姿をとってイエスの上に下り、そして天から声がした」(3:21-23)。この時から、聖霊はイエスのうちにお宿りになられました。聖霊に満たされたイエスは聖霊に導かれながら宣教活動を開始します。聖霊はイエスのうちにあって働いておられました。

 復活されたイエスは、天に上げられる前に、聖霊によって弟子たちに命じられたことを、ルカは使徒行伝の冒頭に記しています。「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いた父の約束を待っているがよい・・・あなたがたは間もなく聖霊によってバプテスマを授けられるであろう」(1:1-5)。聖霊と共に歩み、活動されたイエスだから、弟子たち(教会)が福音を伝える伝道活動、そして彼らの成長は聖霊の関与なしには不可能であることを誰よりも知っておられました。イエスに命じられた弟子たちはエルサレムにとどまりました。弟子たちはエルサレムで祈りをしました。彼らは集まって祈りをしたのです。「彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈りをしていた」(使徒行伝1:14)。集まってひたすら祈っていた弟子たちは、祈っておられたイエスに聖霊が下ったように、聖霊に満たされたのです。(使徒行伝2:1-4)父なる神は祈り求める者の祈りを聞き、答えてくださったのです。その答えが、「ひとりびとりの上にとどまった。すると一同は聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに・・・語り出した」(使徒行伝2:3-4)出来事です。

 イエスは「求めよ」とおっしゃって、「しきりに願う」ことを勧めました。(ルカ福音書11:8-9)「しきりに」は厚かましく求めることだそうです。恥かしがらずに厚かましく求めるのです。そういう人に父なる神は聖霊を注いでくださるのです。わたしたちも、ひたすら祈り、常に聖霊に満たされて歩みましょう。