「ふたたび」テサロニケの信徒への手紙14章13節-15節

 教会はキリストのからだです。キリストのからだである教会のかしらはキリストです。かしらであるキリストはこの地上に再び来られます。キリストの再臨です。再びこの世に現れるのです。

 主イエス・キリストの再臨の時、どのようなことが起るのでしょう。先ず、天使のかしらの声と神のラッパが鳴り響きます。これは再臨の合図です。主イエス・キリストが合図の声で、天からこられるのです。主イエスが天から下ってこられたその時、キリストにあって死んだ教会の人々が、先ず最初によみがえります。それから、その時に生きている教会の人たちが、よみがえった人たちと共に雲に包まれて引き上げられ空中で再臨の主と会うのです。(1テサロニケ4:13-18参照)栄化は復活の後なのです。

 教会の人々の復活の根拠はイエスの復活です。「イエスが死んで、復活されたと、私たちは信じています。それならば、神はまた同じように、イエスにあって眠りに就いた人たちを、イエスと共に導き出してくださいます」(1テサロニケ4:14 聖協共同訳)。教会のかしらであるキリストにつながっている教会のひとりひとりを、神はイエスと同じように復活させてくださるのです。このようにパウロが言えたのはイエスのことばを信じていたからでしょう。「主の言葉によって言います」(1テサロニケ4:15 聖協共同訳)。

 マタイは福音書にイエスの言葉を書き記しています。「その時、人の子の徴が天に現れる。そしてその時・・・人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。人の子は大きなラッパの響きとともに天使たちを遣わし、天の果てから果てまで、選ばれた者を四方から呼び集める」(マタイ福音書24:30,31)。教会のかしらであるキリストは再びおいでになるのです。キリストのからだである教会を永遠の救いへ入れるためにおいでになられるのです。それだから、パウロはキリストのからである教会(テサロニケ)に、信仰と愛との胸当てを身につけ、救いの望みのかぶとをかぶって、慎んで生活する、歩むように勧めます。(1テサロニケ5:8参照)

 キリストのからだである教会が主イエス・キリストによって救いを得るように定めてくださった(1テサロニケ5:9参照)神は、キリストのからだである教会のひとりひとりをきよめてくださるのです。「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいます」(1テサロニケ5:23 聖協共同訳)。教会は「信仰によって義とされたのだから、私たちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ています」(ローマ5:1 聖協共同訳)。神と交わることができる人たちにされました。だからこそ神は教会を全くきよめ、聖なる者としてくださるのです。それだけではありません。「霊と心と体とを完全に守り、私たちの主イエス・キリストが来られるとき、非の打ちどころのない者にして(1テサロニケ5:23 聖協共同訳)」くださいます。何と感謝なことでしょう。

 神にきよめられ、そして守られている教会だから、目をさまして慎むことができるのです。信仰と愛の胸当てを身につけ、救いの望みのかぶとをかぶって慎んでおれるのです。(1テサロニケ5:5-8参照)指導者を重んじ、愛をもって敬い、平和に過ごせるのです。弱い人を助け、人に対して寛大でいつも善を行う歩みができるのです。そして、いつも喜んでおり、絶えず祈り、すべてのことに感謝する生活が生まれてくるのです。(1テサロニケ5:12-22参照)平和の神を賛美せずにはいられません。