今朝はイースターです。イエスが甦られた日です。イエスが甦られたから、信じて救われたわたしたち、すなわち教会も甦ることができるのです。「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」(ヨハネ11:25口語訳)。
イエスはやがて天から再びおいでになります。その時、教会は甦り栄化され永遠の救いへ入れられるのです。このような世の終りのことを「終末」といいます。この終末、世の終りについては誤った教えが語られ、教会はそれと戦って今日まで歩んできたと言うことができるでしょう。パウロも「だまされてはいけません」とテサロニケの信徒へ手紙を書きました。(2テサロニケ2:3)第一の手紙から約1年後のことです。テサロニケの教会に世の終りについての誤った教えが持ち込まれてきたようです。イエス・キリストの再臨についての間違った考えです。信仰を健全に保つためには正しい理解を維持することが大切です。
「主の日がすでに来たかのように言う者がいて」(2テサロニケ2:2)の、主の日とは世の終りのことです。信じて救われた人にとってはその救いの完成の日です。信じない人にとっては裁きの日です。それはイエス・キリストの再臨によって実現します。しかし、もうすでにきたと触れ回る人たちがいたようです。そこでパウロは再臨の前に何が起こるのかを伝えます。再臨の前には偽キリストが現れます。自分は神だと言う人です。そして、神らしいことをやってみせるのです。さらに、信じる者たち、すなわち教会を迫害していくのです。そのようなことが秘密裏に行われるのです。でもその働きを阻止する者がおられるのも事実です。聖霊です。そして主イエスの再臨の時、不法の者(サタン)は来臨の輝きによって滅ぼされてしまいます。(2テサロニケ2:2-12参照)これが正しい終末なのです。
だまされないためにも、教会は教えられた言い伝えに止まり、そこにしっかりと立って歩むことが大切なのです。(2テサロニケ2:15参照)今日の教会にとってそれは聖書と言えるでしょう。聖書は正典です。物差しなのです。キリストのからだである教会は聖書によって健全な信仰を持ち続け、健全に成長していくことができるのです。信徒が聖書を読む時、聖霊がみことばを開いて教え、諭し、みことばに堅く立たせて身に付けさせてくださるのです。
パウロはテサロニケの信徒に、「誰がどのような手段を用いても、だまされてはなりません」(1:3)、「主の日がすでに来たかのように言う者がいても・・・動揺したり、慌てふためいたりしないでほしい」(1:2)と勧めました。復活したキリストのからだである教会として、聖書を精読し、みことばに堅く立って、わたしたちもだまされることなく信仰の戦いを戦い抜いていきましょう。