苦難、試練の中でも希望をもつことができるとペテロは証をしています。各地に離散して寄留している教会のユダヤ人たちに書き送った書簡がそれです。「あなたがたは・・・今しばらくの間、さまざまな試練に悩まれなければならないのかもしれませんが、あなたがたの信仰の試練は火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりも尊く、イエス・キリストが現れるときに、称賛と栄光と誉れとをもたらすのです」(1:6,7)。この手紙はパウロが殉教した後に書かれました。それだけにペテロのことばには重みがあります。 試練によって信仰がどんなに尊いものかがわかるようになるのです。信仰によって歩む教会の人たちにとって試とはそういうものなのです。そして、信仰はキリストの再臨の時には「さんびと栄光とほまれ」(1:7口語訳)をもたらします。それだけでなく、苦難の中にある教会の人たちを、恵みの神は「いやし、強め、力づけ、不動のものとして下さる」(5:10口語訳)お方です。
それだけに、そのような望みをもって生きる者とされたキリストのからだである教会は、その希望をいつでも証できるように備えているべきです。ペテロは記しています。「あなたがたのうちにある望みについて説明を求めている人には、いつでも弁明できる用意をしていなさい。しかし、やさしく、慎み深く、明らかな良心をもって、弁明しなさい」(3:15、16口語訳)。
教会の模範であるイエス・キリスト(2:21参照)を思い、キリストの心で生きれるようにしていただいているキリストのからだである教会は、イエス・キリストのように神に従いつつキリストの心で生活をしていきましょう。教会は神の恵みのすばらしさをはっきり示すことになるでしょう。