「耐え忍んで」ペトロの手紙二 3章14節〜18節

 耐え忍ぶことは、わたしたちの生活の中で多々あります。本日の題である「耐え忍んで」は、わたしたちのことではなく、十字架で死なれたイエスにかかわることです。「主は約束の実行を・・・忍耐しておられるのです」(ペトロニ39口語訳)主が耐え忍んでおられるとは大変に興味深いことです。人は時の流れの中で変えられてしまうことがあります。教会も変えられてしまうことがあります。キリストのからだである教会は、イエス・キリストの再臨を待ち望んでいました。

 

 以前、イエスは弟子たちにおっしゃいました、「あなたがたのために、場所を用意しに行く.・・場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう」(ヨハネ福音書1423口語訳)。「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る」(ヨハネ福音書1418口語訳) 復活したイエスが天に上げられた時、白い衣を着たふたりの天使が弟子たちに語られました。「あなたがたを離れて天に上げられたイエスは、天に昇って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またお出でになる」(使徒言行録111)。第子たちを中心に、キリストのからだである教会の人たちはイエスの再臨を待ち望んでいました。しかし、イエスを待ち望む教会の歩みが乱れはじめました。「主が来られるという約束は、一体どうなったのか。先祖たちが眠りに就いてからこの方、天地創造の初めから何も変わらないではないか」(ペトロニ34と言って教会の人たちをばかにして嘲笑する人たちが現れたのです

 

この時、イエスが死んで30年以上も経っていたのです。「来る、来る」と言っても来ないではないか。何も変わっていないではないか。教会の人たちの中には動揺する人もでてきたようです。ペトロは「遅い」と思ってはならないと語りかけ、そして「愛する者たちよ」と呼びかけて、必ずおいでになるのだから「確信を失うことのないように」と勧めるのです。

「あなたがたはかねてから心がけているように、非道の者の惑わしに誘い込まれて、あなたがた自身の確信を失うことのないように心がけなさい。そして、わたしたちの主また主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい」(ペトロニ317-18口語訳)。

 

  キリストのからだである教会は「神の約束に従って義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいます」(ペトロニ313) イエスが再臨されたとき、教会は新天新地に迎え入れられます。今の天と地は火で焼き滅ぼされてしまいます。神の裁きです。審判です。「その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう」(ペトロに310口語訳)だからイエス・キリストは「一人も滅びないで、すべての人が悔い改めるように望み、あなたがたのために忍耐しておられるのです」(ペトロニ3:9)。イエス・キリストは、すべての人が救われるように、忍耐して待っていてくださるのです。耐え忍んで待っていてくださったから、わたしたちはイエス・キリストの救いの恵みをいただくことができたのです。「主の寛容は救」(ペトロニ3

1:5口語訳)なのです。

 

イエス・キリストは耐え忍んで待っていてくださるのです。そのことを思うと、新しい天と新しい地を待ち望む者にしていただいたキリストのからだであるわたしたちは、イエス・キリストの福音を宣べ伝えずにはおれません。家族に、友人知人に、町の人たちに。伝えるために、祈らずにはおれません。