「ひとりを大事に」ヨハネの手紙二1節~3節

 教会の信徒宛に書かれた手紙です。「選ばれた婦人とその子どもたちへ」と記されています。(1参照)おそらく一世紀の終り頃にヨハネが書き送ったものであろうと思われます。

 

 当時、「人を惑わす者」が多く出現しました。その人たちは「イエス・キリストが肉体をとって来られたことを」(8) 否定する人たちでした。人となられたイエスを拒む人たちでした。進んだ考え方であると語っては人を惑わす者たちでした。「行き過ぎは、しばしば異端の原因である。真理のうちにとどまる、初めよりのものの中にいることこそ肝要である」と語られた方がいました。本当にそうだと思います。

 

 そこでヨハネは騙されないように注意を呼び掛けるのです。「よく気をつけて」(8)。そして厳しい言い方をしています。「あなたがたのところに来る者があれば、その人を家に入れることも、あいさつすることもしてはいけない。そのような人にあいさつする者は、その悪い行いにあずかることになるからである」(10口語訳)間違った教えに対しては、毅然とした態度を、キリストのからだである教会のひとりひとりは取るべきです。「私たちが働いて得たものを失うことなく、豊かな報いを受けるように」(8)すべきです。

 

 そのために、「真理のうちを」(4 歩くようにしなければなりません。真理とはイエス・キリストです。(ヨハネ福音書14:6 イエス・キリストの後にわたしたちのところへ道わされたのが聖霊、「真理の御置」です。真理の御霊はわたしたちを「あらゆる真理に導いて」くださるのです。イエス・キリストから「いただいた油(聖露)が・・・あなたがたに教える」(ヨハネー2:26,27)のです。聖霊は偽物と本物とを見分けさせてくださるのです。これは違う、これはおかしいと思わせてくださるのです。聖霊は「キリストの教をとおり過ごして」(9口語訳)しまわないようにしてくださるのです。「その教にとどまって」

(9口語訳)歩めるように、生活できるようにしてくださるのです。

 

 イエスはおっしゃいました。「互に愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」(ヨハネ福音書1334)。そしてイエスは「世にいるご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれた」(ヨハネ福音書131)のです。その中にはイエスを裏切ったユダも含まれているのです。互いに愛し合う歩みはイエスから新しく始まったのです。

 

 ヨハネがこの手紙を書き送ったということを通して、ひとりひとりを大事にしていたことを思うのです。ヨハネは「紙とインク」(12)で手紙を書くだけでなく、「あなたがたのところに行き、親しく話したい」と自分の思いを記しています。(12向かい合って話し合うことを大事にしていたように思います。伝えたいことが伝わるように向かい合って話すことをわたしたちも大事に、大切にしていきたいものです。日本人のために心血を注がれた宣教師が母国から船で帰任した折に、犬吠岬の向うから無電したそうです。その電文は、「あなたがたに書き送ることはたくさんあるが、紙と墨とで書くことはすまい。むしろ、あなたがたのところへ行き、直接はなし合って。共に喜びに満ちあふれたいものである」(12口語訳)。

 ひとりひとりを大事にし、その交わりを大事にしたい。