「いのり」ヨハネの手紙三 1節~4節

 きょうはヨハネが書き送った「手紙の三」を開きましょう。手紙の書出し、あいさつに注目することにします。

 手紙の受け取り人は「ガイオ」(1)です。彼は「真理に歩んでいる」(3)人です。「旅先にある者につくしている」(5口語訳)人でした。旅人をもてなしていたのです。当時は巡回をして福音を伝える人たちがいたのです。巡回伝道者です。遠くから旅をして伝道をしていたのです。キリストのからだである教会はその人たちを家に招き、泊めてあげて交わりをもったりしたようです。パウロも「愛には偽りがあってはならない・・・兄弟の愛をもって互いにいつくしみ・・・努めて旅人をもてなしなさい」(ローマ12:9-13口語訳)と手紙に書いています。ヘブライ人の手紙にも。「兄弟愛を持ち続けなさい。旅人をもてなすことを忘れてはならない」(13:1、2口語訳)

 

 「もてなす」ためには準備がいります。気もつかいます。犠牲を払わなければなりません。決して簡単なことではないでしょう。旅人をもてなすことは愛の実践なのです。「愛する者よ。あなたが、兄弟たち、しかも旅先にある者につくしていることは、みな真実なわざである。彼らは、諸教会で、あなたの愛についてあかしをした」(5、6口語訳)と記されています。真理に歩むことは人を愛することであり、旅人をもてなすことです。

 

 「もてなし」によって神の祝福をいただいた人がいます。旧約聖書のアブラハムです。マムレの樫の木のそばで三人を天幕に迎え入れてもてなしました。「足を洗って・・・お休みください。またパンを幾らか持って来ますので、元気をつけ、それからまたお出かけください」(創世記18:3-5)。アブラハムは上質の小麦粉を使ってパンを焼き、子牛を調理して出し、三人が食事をしている間そばで給仕をしました。この時にアブラハムは神がソドムとゴモラを滅ぼされることを知り、神にとりなしの祈りをするのです。執拗に食いさがります。「神は、低地の町を滅ぼされたとき、すなわちロトが住んでいた町を滅ぼされた際、アブラハムのことを忘れず、ロトをその滅亡のただ中から救い出された」(創世記19:29)アブラハムはもてなしを通して神から大きな祝福をいただきました。神を愛し人を愛する者の歩みを、主なる神は祝福してくださるのです。

 

 真理に歩んでいるガイオのためにヨハネは祈ります。「愛する者よ、あなたの魂が幸いであるように、あなたがすべての面で幸いであり、また健康であるようにと、私は祈っています」(2)。主なる神は「すべての面で幸い」を与えてくださるお方です。結婚を周囲から反対され、父親から勘当された女性がいました。相手は障害を持つ男性でした。「不幸になることは目に見えている」と反対されたのですが、彼女は「私の信じている神がこれから私にどんなことをしてくださるかを見ていてください」と結婚をしました。その後、子供さんたちの成長ぶりや、障害者の夫を背負って海外旅行をしたり、車を運転して家族で実家を訪れたりしたのを見て、彼女の父親は言ったそうです。「お前たちの信じている神は確かに生きている」と。そして病に倒れた父親は病床でイエス・キリストを受け入れ救われました。

 

 主なる神は恵みを与え、祝福をしてくださるだけでなく病気になる弱さをも克服させてくださるのです。「健康であるように」(2)。「すこやか」(口語訳)にしてくださるのです。キリストのからだなる教会の神は「癒す者である」(出エジプト15:26)からです。この神から遣わされたイエスは「わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負った」のです。(マタイ8:14-17参照)そして十字架にかかり、永遠のいのちを与えて病に侵されることのない栄光のからだに変えられる恵みと祝福の道を開いてくださいました。

 この神を見上げつつ、希望をもって歩み続けましょう。