「受けたもの」ローマの信徒への手紙 1章2節~6節

 ローマの信徒へ手紙を書いたパウロは福音伝達のために選び出された人でした。福音とは人となって十字架で死んで復活し、わたしたち罪人に永遠の救いを与えてくださるイエス・キリストのことでした。パウロはこの福音伝者として最も大切なこととして伝えたのは「キリストが聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」(Ⅰコリント15:1-8)でした。

 パウロはコリントの人たちに書いた手紙の中で「あなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです」(15:3)と言っています。確かにパウロはイエスに出合って救われましたが、宣べ伝えた福音は教会の中に命懸けで伝達されてきている福音を受け取ったものでした。イエスの弟子たちが中心となって活動していた最初の教会です。その福音は12弟子を中心とする教会が考え作り出したものではなく、弟子たちがイエスから受け取ったものです。

 マルコは福音書の中にイエスの話を記しています。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(1:15)。イエスは福音をこのように宣べ伝えました。「時は満ちた」とは、旧約の預言者たちがやがて救い主が遣わされると語ったが、その時が来たということです。「神の国は近づいた」というのは、神の国が来ているということです。神の国、それは神の支配が始まったというのです。だから「悔い改めて福音を信じなさい」と語られました。

 これを教会は受け取って伝えています。五旬祭の日のペトロの勧めを見てみましょう。(使徒言行2章参照)先ず、旧約聖書に書かれていることが成就したと語っています。次に、イエスの十字架と復活の話です。そして、罪を悔い改めて信じるように勧めています。イエスは神の国は来たと話しましたが、その神の国にはイエスの十字架と復活によって入ることができるので、教会は十字架と復活を語りました。福音はイエスから弟子たちを中心とした最初の教会へと伝えられ、そして教会からパウロへと伝えられたのです。イエスがはじまりなのです。福音はイエスから受けた教会が命懸けで守り伝えたものなのです。

 パウロも「この福音は、神が聖書の中で預言者を通して、あらかじめ約束されたもの」(ローマ1:2)であることを記します。次に、御子に関することは人となられたことと復活の二つです。人になるときダビデの子孫として生まれたことを語っています。旧約聖書が約束した救い主がイエスであることを示します。神が人になってくださったのです。そして、死を経験して死ぬべき者の苦悩を理解できるお方になられたのです。復活はイエスが「神の子」であることをはっきり示すものでした。この復活によって「私は復活であり、命である。私を信じる者は死んでも生きる」(ヨハネ福音書11:25)ことが現実になったのです。最後に「信仰の従順へと導く」(ローマ1:5)です。聞いて従うことが従順です。ローマの教会の人たちも伝えられた福音を聞いて「イエス・キリストのものとなった」(ローマ1:6)のです。

 わたしたちもそうです。教会によって伝えられた福音を聞いて救われました。わたしたちも「イエス・キリストのもの」となりました。神がご計画をもって召してくださったからです。町の人々を「信仰による従順へと導くために」。