パウロには「切なる願い」がありました。それは福音をローマで語り伝えることでした。世界の中心であるローマへ行って福音を伝え、それからスペインへ、当時は地の果てと思われていたスペインへ行こうとしていました。
福音によって人は罪から救い出され、神と共に歩む新しい生活に入っていくのを実際に見て福音の力を経験し、人が真に求めている救いがここにあると確信したパウロの中に沸き起ってきたのがローマへ行きたいという願いでした。「どうにかして、あなたがたのところに行けるようにと願っている」(ローマ1:9口語訳)。
ローマの教会にはペンテコステの時にそこに来ていてローマの人、アジヤからローマに移って来た人、パウロの伝道を助けた人、そしてパウロと親しい交わりをしていた人たちもいたであろうと思われます。ローマの信徒への手紙の終りの挨拶に「愛する」、「同労者」、「キリストにあって練達な」、「彼の母は、わたしの母でもある」のことばが記されています。(15章口語訳参照)
そのローマの教会へ行くことを願っていたパウロですが、幾度もローマへの道が妨げられたようです。「どうにかして・・・行けるように願っている」(1:9口語訳)。「行こうとしばしば企てたが、今まで妨げられてきた」(1:13口語訳)。パウロによってエルサレムから始まった福音の伝達は、もはや働く余地がない程に満たされました。そこでローマへ、そして地の果てへ行こうとの思いがでてきたのでしょう。「このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたしが・・・宣べ伝えて仕えている神である」(1:10口語訳)と記されていますから、パウロが本気であったことが分かります。
ローマ行きを妨げたのはエルサレムが飢饉に見舞われたからです。エルサレムの人たちが食べ物に困っているのを知って、教会の人たちから献金を募ってエルサレムへ持っていったのです。「私は、そこに行った後、ローマをも見なければならない」(使徒19:21)。ところが、エルサレムで捕えられて投獄されてしまいます。パウロは暗殺されそうになりますが、危うく難を逃れ、囚人としてですがローマに向かって船出します。しかし、暴風に悩まされます。浅瀬に乗り上げたとき、兵卒たちは囚人が泳いで逃げるおそれがあるので殺そうとします。マルタ島でパウロはまむしに噛まれます。このようにローマ行きを妨げることが生じてきますが、パウロは「ついにローマに到着」(使徒28:14)するのです。
パウロのローマへ行きたいという願いの実現には、主なる神が深く関係しています。「勇気を出せ、エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなけらばならない」(使徒23:11)。「パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない」(使徒27:24口語訳)。主なる神の守りと助けと導きがあったことを教えています。
福音の力を経験したパウロに、ローマへ行って福音を伝えたいという切なる願いが生まれました。その切願はどんなことが起っても捨てず、諦めず、消されませんでした。そのようなパウロを主なる神は守りました。助けました。そして神らしい方法でパウロの生涯を導いてくださいました。これが福音宣教です。「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至たらせるのは神で・・・ある」(フィリピ2:13口語訳)