福音の力は罪を認める、自分は罪人であることに目覚めた人に力強く働きます。
人は皆誰でも神を知っています。聖書の神は創造者です。天地を創造されました。神は被造物を通して御自身を現しておられます。誰でもわかるようにしていてくださるのです。「神について知りうる事柄は、彼らには明らかだからです。神がそれを示されたのです。神の見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造以来、被造物を通してはっきりと認められるからです。したがって、彼らには弁解の余地がありません。なぜなら、彼らは神を知りながら、神として崇めることも感謝することもせず」(ローマ1:19-21)。「天は神の栄光を語り、大空は御手の業を告げる」(詩篇19:2)ように造られたものは造り手の存在を明示しているのです。
人は神を知っているのです。「神を知りながら」人は「神として崇めることも感謝することも」しないのです。(ローマ1:21)それが人です。罪人であるわたしたちなのです。そして人は「空しい思いにふけり、心が鈍く暗く」なってしまったのです。それだけでなく、「自分では知恵のある者と称しながら愚かになり、不滅の神の栄光を、滅ぶべき人間や鳥や獣や地を這うものなどに似せた像と取り替えたのです」(ローマ1:22-23)。神を拒んで神から離れた人は自分の都合のいい神を造りだしてしまうのです。人は思うままに生きたいのです。それが罪人である人間の姿です。
人は心の欲望によって歩みます。その結果、男女の関係が崩れていきます。関係が壊れてしまうのです。「自然な関係を自然に反するものに替え」、「その迷った行いの当然の報いを身に受けています」(ローマ1:24-27)。これが人間の実情です。
どんなに学問を積んでも、少しは人々から尊敬される者になったと言うことができても、「してはならないことをする」のです。「あらゆる不正・・・悪意に満ち、妬み、殺意、争い、欺き、邪念に溢れ、陰口を叩き、見栄を張り、悪事をたくらみ、親に逆らい、無分別、身勝手、薄情、無慈悲・・・自らそれを行うばかりか、それを行う者を是認さえしています」(ローマ1:28-32)。ここまで人は落ちてしまいました。人との関係は崩壊し、家庭の平和すら保てなくなってしまいました。自分が幸福であるかといえばそうでもない生活を送っています。
これはイエス・キリストを知る以前のわたしたちの姿でした。この罪に汚染されてしまったわたしたちに、力強く働いたのが福音でした。福音はわたしたちを新しく造り変えてくださいました。新創造してくださいました。今自分がどんなに罪深い者であったかを思い返し、罪から解放した福音の力によって更に前進していきましょう。