「知る」ローマの信徒への手紙8章28-30節

 今朝の題は「知る」です。神の子どもたちが「知っている」ことに注目しましょう。「わたしたちは知っています」(ローマ8:28)と記されています。わたしたちとはパウロとその仲間、言い換えると神の子どもたちです。神の子どもたちは何を知っているというのでしょう。「神を愛する者たち、つまりご計画に従って召された者のためには、万事が共に働いて益となるよということを」(ローマ8:28)です。神の子どものために、神は万事を益となるようにしてくださることを知っているということです。(ローマ8:28口語訳参照)

 パウロは神の子どもたちを、「神を愛する者」で神の「ご計画に従って召された者」と言っています。神を愛することができるのは神に愛されていることを知ったからです。神の愛を知らずに神を愛することはできません。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために宥めの献げ物として御子をお遣わしになりました(Iヨハネ4:10)。イエス・キリストの十字架によって顕示された神の愛を知った者が神を愛することができるのです。この神を愛する者は神の「ご計画によって召された者」なのです。あの時、あそこで信じて義とされ救われたのは偶然でなないのです。神のご計画だったのです。目的を持った神のご計画の中に生かされているのが神の子どもなのです。

 その神の子どもに対して、神は「万事を益となるようにして下さる」のです。(ローマ8:28口語訳参照)パウロは御霊に感じて、マケドニア、アカヤを通ってエルサレムへ行く決心をします。(使徒言行録19:21参照)そのパウロに投獄と患難とが待ちうけていることを聖霊がはっきり告げています。それでもパウロは出掛けて行くのです。ルカたちは「主のみこころが行われますように」と送り出します。(使徒言行録20:22-24参照)エルサレムに着いたパウロをユダヤ人たちは殺そうとします。エルサレムが混乱し、守備隊が介入し、パウロは議会で弁明することになります。(使徒言行録22章参照)パウロの身の危険を案じた干卒長がパウロを兵営に移します。その夜、傍らに立つ主に励まされます。(使徒言行録23:6-11参照)パウロの姉妹の子がユダヤ人によるパウロ暗殺計画を知ることによって、パウロは兵卒に護送されて総督ペリクスのもとへ送られます。(使徒言行録23:23-35参照)そしてパウロはカイザル(皇帝)に上訴します。(使徒言行録25:1-12参照)船でローマへ向かいます。神に励まされ守られた航海でした。島の人たちに親切にされ助けられてついにローマに到着するのです。(使徒言行録27:21-26,28:1-15参照)このようにして「地の果てまで、私の証人となる」(使徒言行録1:8)と言われたイエスのことばが実現します。パウロはどこまでも神にお従いします。神はそのパウロと共に働かれるのです。「ご計画に従って召された者と共に働いて、万事を益となるようにして下さる」とはこういうことでなないでしょうか。

 その神の「ご計画」の目的は「御子のかたちに似たものにしようと」することと、「御子が多くの兄弟の中で長子となられる」ことです。神の子とされた最終目的は「御子にのかたちに似る」者となり、御子イエスの兄弟となることです。「益」の第一義は「御子のかたちに似たもの」となることです。そして栄化の恵みにまで至ることなのです。そのために「神は前もって知っておられた者たちを、御子のかたちに似たものにしようとあらかじめ定められました・・・神はあらかじめ定めた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし義とした者に栄光をお与えになったのです」(ローマ8:29-30)パウロは神の召しによって義とされ新しく生まれ変わって神の子とされました。そしてイエスの再臨の時にはイエスと同じ栄光のからだに変えられる希望をもって歩んでいました。それだけでなく、イエス・キリストの救いの恵みを体験したパウロは、「母の胎にいる時から」選ばれていたことを知ります。(ガラテヤ1:15-16参照)さらに「天地の造られる前から」選ばれていたことを知るのです。(エフェソ1:4参照)パウロは救いの体験から時を遡るようにして開かれ知ったのです。

 神の子どもであるわたしたちもこの「知」にしっかりと立って御子のかたちに似る者にしていただきましょう